創造の第七日: 神がやめられた

1 序論

六日間の創造は完了しました。あらゆる創造の働きは成し遂げられました。地はもはや 「形なく、むなしい」状態ではありません。物理学、化学、生物学のすべての法則が働き始めました。 「見よ、それは非常に良かった」のです。

第七日は創造週の一部です。興味深いことに、一日・一か月・一年は地球や月の運動によって定まりますが、 「週」を定義する天体は存在しません。七日を一組とする週という概念は、純粋に神のご計画によるものです。

2 創世記2章1節:完了した

וַיְכֻלּוּ הַשָּׁמַיִם וְהָאָרֶץ וְכָל־צְבָאָם׃
ヴァイェフルー ハッシャーマイム ヴェハーアーレツ ヴェコル・ツェヴァーアーム
創世記2章1節: こうして天と地とその万象が完成した。

神は第七日に創造の働きをなさったのでしょうか。いいえ。 『創世記』2章1節は、宇宙とその中のすべてのものの創造が六日間で完了したことを明確に語っています。 この節にある唯一の動詞「ヴァイェフルー」は、聖書ヘブライ語における ワイイクトル形(wayyiqtol)であり、出来事が順序立てて進行することを示す文法形式です。 すなわち、「神が造られたすべてのものをご覧になった」第六日の終わりに、 天と地の創造は完了し、終結し、完全に成し遂げられたのです。 もはや成すべき創造の業は残されていませんでした。

第一日の初めにおいて、創造はまだ未完成でした。地は暗闇の中にあり、 球体である地球は見えない状態でした。 しかし第六日の終わり、すなわち日没近くには、宇宙全体の創造は完成していました。 なされるべきすべてのことは成し遂げられたのです。 神の創造プロジェクトは完了しました。

神の御言葉による六日間の創造は、誰一人として観察したことのない いわゆる「大進化」とは明らかに異なります。 大進化論では、惑星や衛星の形成は、未知の天体同士の衝突によって起こると考えられています。 そしてそのうちの一つが、数十億年という非常に長い時間をかけて、 徐々に太陽系の惑星へと形成されたとされます。

しかし、地球にこれほど豊富な液体の水が存在する理由について、 説得力のある理論は存在していません。 太陽系の他の惑星や衛星には、液体の水は確認されていません。 しかし聖書は、初めに神が地の表面を水で覆われた状態で創造されたと語っています。

水星から太陽系の外縁に至るまで、各惑星はそれぞれ独自の特徴を持っています。 それらの観測結果は、数十億年にわたる大進化を前提とする科学者たちを驚かせています。 たとえば、18名の科学者チームが、探査機 Messenger(メッセンジャー)によって得られた 水星(マーキュリー)の最新観測データを分析しました。 彼らは次のように結論づけています。

水星は小さな岩石質・金属質の世界であり、その内部の地質活動は はるか昔に終わったと一般に考えられていた。 しかし、比較的最近に起こった可能性のある表面変化の存在は、 水星の衝突以外の地質進化が現在も継続している可能性を示唆している。

平易に言えば、数十億年にわたる大進化という枠組みは、 観測事実と整合しない部分があるということです。 水星の大きさは私たちの月とほぼ同程度です。 そのような小さな天体であれば、数十億年前に形成されたと仮定する場合、 現在も地質活動が続いていることは想定されにくいと考えられてきました。 しかし、もし最も小さな惑星が数千年前に創造されたのであれば、 これらの観測結果は何ら問題とはならないでしょう。

もう一つの例はケレスです。ケレスは近年、準惑星に再分類されました。その大きさは私たちの月のわずか2%にすぎません。言い換えれば、月の中にケレスを50個入れることができるほど小さいのです。

数十億年にわたる大進化という枠組みに立てば、これほど小さな天体にはもはや地質活動は残っていないはずです。ケレスは、主小惑星帯にある他の小惑星と同様に、完全に活動を停止した「死んだ」天体であると考えられるはずでした。

しかし、NASAのドーン探査機は、その表面に明るい塩分を含む堆積物を観測しました。これは「比較的最近」の低温火山活動(クライオボルカニズム)を示唆するものであり、数十億年にわたる大進化の想定とは整合しません。しかし、もしこの準惑星が数千年前に創造されたのであれば、これらの観測結果は何ら問題とはならないでしょう。

一つ確かなことがあります。神は大量生産をなさるお方ではありません。雪の結晶が一つ一つ異なるように、すべての天体もまたそれぞれ固有の存在です。そしてそれはあなたも同じです。あなたの虹彩は、地球上の80億人の誰とも同じではありません。

3 神は御業を確立された

וַיְכַל אֱלֹהִים בַּיּוֹם הַשְּׁבִיעִי מְלַאכְתּוֹ אֲשֶׁר עָשָׂה
ヴァイェカル エローヒーム バヨーム ハシェヴィイー メラクトー アシェル アーサー
創世記2章2節a: 神は第七日に、なさっていたわざを完成し、

強調のために、神は再び「完了」という主題を繰り返しておられます。 動詞「ヴァイェカル」は、前節の「ヴァイェフルー」と同じ語根を共有しています。 これはピエル形(強意形)の能動態であり、さらにワイイクトル形です。 強意形であることから、単なる「完了した」「終えた」よりも、 「成し遂げた」「確立した」と訳す方が意味をよく表すでしょう。

それはあたかも、神がご自身の創造物に対し、 ご自身が制定された自然の法則に従って機能するよう正式に委ねられたかのようです。 神はこれらの法則を、極めて精密かつ繊細に設計されました。 神を信じるか否かにかかわらず、 理論物理学者であれば誰でも、それらの法則を記述する数式の美しさ、 そして法則そのものの美しさを見いだすでしょう。

かつてアメリカ合衆国大統領ロナルド・レーガンは、次のような冗談を語りました3

私は、この世界にこれほどの美が満ちているにもかかわらず、 無神論者でいられる人がいるということを、長い間理解できずにきました。 そして私は、ある少々不敬な願望を抱いたことがあります。 何人かの無神論者を夕食に招き、 これまでに考案された中で最高の豪華料理を振る舞うのです。 そして食後に、彼らにこう尋ねるのです。 「料理人がいたと信じますか」と。

かつて無神論者であったC・S・ルイスは、次のように述べています4

人間が科学的になったのは、自然の中に法則があると期待したからであり、 自然に法則があると期待したのは、立法者を信じていたからである。 しかし現代の多くの科学者においては、 この立法者への信仰は失われてしまった…… 私たちは、自分たちが思っているよりも、 科学時代の終焉に近いところに生きているのかもしれない。

多くの科学者は立法者を認めようとしません。 しかし、なぜ「法則」が存在するのかについての明確な説明を持っていません。 また、その法則がどこから来たのかも知りません。

多くの人々はまた、立法者そのものを望みません。 「そのころイスラエルには王がなく、 人々はみな自分の目に正しいと見えることを行っていた。」 (士師記21章25節) 今日においても、この世界には王がおらず、 人々はそれぞれ自分の目に正しいと見えることを行っています。

人類の罪深く反逆的な本性は、今も変わっていません。人は皆、心のどこかで「自分のほうが神よりも正しい」と言い、自分自身の運命を、自分で決めたいと望みます。さらには、自分の「性別」さえも自ら決定したいと考えます。

しかし、生物学的に観察される性染色体は、基本的にXXとXYの二種類です。これは観察可能な科学の領域に属する事実であり、客観的な現実です。それにもかかわらず、これに公然と異議を唱える一部の声高なサブカルチャーが存在します。 かつてC・S・ルイスが述べたように、「私たちは、自分たちが思っているよりも、科学時代の終焉に近いところに生きているのかもしれない」のです。

4 創世記2章2節b:神は第七日にすべてのわざをやめられた

וַיִּשְׁבֹּת בַּיּוֹם הַשְּׁבִיעִי מִכָּל־מְלַאכְתּוֹ אֲשֶׁר עָשָׂה׃
ヴァイシュボト バヨーム ハシェヴィイー ミコル・メラクトー アシェル アサー。
第七日に、なさっていたすべてのわざをやめられた。

動詞ヴァイシュボト וַיִּשְׁבֹּת は、語根シャーヴァト שָׁבַת のワイイクトル形です。この文脈では「休む」ではなく、「やめる」という意味になります。

ここで「休む」と訳しても、神が疲れたという意味ではありません。 神が休息を必要とされたということでもありません。 この真理を理解する一つの助けは、イエスの洗礼の出来事です。 四福音書すべてがこれを記録しています。

洗礼者ヨハネは「私こそ、あなたからバプテスマを受ける必要があるのに、あなたが私のところにおいでになったのですか。」 (マタイ3章14節)と言いました。 もちろん、イエスには洗礼を受ける必要はありませんでした。 それでも、(マタイ3章15節)イエスは答えられた。「このようにして正しいことをすべて実現することが、わたしたちにはふさわしいのです。」 「休む」ことは要らないとした上で敢えて「正しいことをすべて実現する」ために「休まれた」。

イェシュアはへりくだりによって、ヨハネの務めを認め、彼を尊ばれました。 同じように神は、六日間の通常の働きから一日離れることが正しいことであると、 模範によって人類に示されたのです。 安息日は創造の時から神が人間に与えられた賜物なのです。

語根シャーヴァト שָׁבַת から、名詞シャバット שַׁבָּת が派生しました。 このヘブライ的休息の日は、英語の “sabbath” という語の語源となっています。

ユダヤ人にとって安息日は、 金曜日の日没から始まり、 土曜日の日中を経て日没まで続きます。 わずか三節のこの記述からも、 安息日が週の最後の日であることが分かります。

5 創世記2章3節a:神は第七日を祝福し、聖別された

וַיְבָרֶךְ אֱלֹהִים אֶת־יוֹם הַשְּׁבִיעִי וַיְקַדֵּשׁ אֹתוֹ
ヴァイヴァレフ エロヒーム エト・ヨーム ハシェヴィイー ヴァイェカデーシュ オートー
創世記2章3節a: 神は第七日を祝福し、この日を聖なるものとされた。

神が「物」ではないものを祝福されたという点は、 驚くべきことかもしれません。 神は、第七日に刻まれた目に見えない24時間を祝福されたのです。 この日は主が祝福された日であり、 主が聖別された日です。 第七日は他の日々から区別されました。

聖書における安息日の最初の言及は 出エジプト記16章23節です。 モーセは安息日を聖なる日として語り、 荒野にいたイスラエルの民に、 神の備えを信頼するよう教えました。 それで民は第七日に休みました。

さらに、十戒の第四の戒めは安息日についてです。 エジプトで毎日働かされていたイスラエル人に対し、 神は「安息日を覚えて、これを聖なるものとせよ。」 と命じられました)。(出エジプト記20章8節)

六日間働いて、あなたのすべての仕事をせよ。 七日目は、あなたの神、主の安息である。あなたはいかなる仕事もしてはならない。あなたも、あなたの息子や娘も、それにあなたの男奴隷や女奴隷、家畜、またあなたの町囲みの中にいる寄留者も。それは主が六日間で、天と地と海、またそれらの中のすべてのものを造り、七日目に休んだ( וַיָּנַח ヴァヤナフ)からである。それゆえ、主は安息日を祝福し、これを聖なるものとした。
ヴァヤナフは動詞 נוּחַ (ヌーアハ/休む・とどまる)のヴフ接続形で、「彼は休んだ」「彼はとどまった」という意味です。

この箇所から明らかなのは、 「六日のあいだ働く」という六日間と、 主が「天と地(海とその中のすべてのもの)を造られた」六日間とは、 まったく同一の時間幅――すなわち144時間――であるということです。

では、出エジプト記20章11節前半を詳しく見てみましょう。

כִּי שֵׁשֶׁת־יָמִים עָשָׂה יְהוָה אֶת־הַשָּׁמַיִם וְאֶת־הָאָרֶץ אֶת־הַיָּם וְאֶת־כָּל־אֲשֶׁר־בָּם וַיָּנַח בַּיּוֹם הַשְּׁבִיעִי
キー シェシェト・ヤミーム アサー YHWH  エト・ハシャマイム ヴェエト・ハアレツ エト・ハヤム ヴェエト・コル・アシェル・バーム ヴァヤーナフ バヨーム ハシェヴィイー

構文的に分けると、次の語句が得られます。

つまり、六日間にわたって主は、 天と地(創世記1章1節)、 海、そしてそれらの中にあるすべてのものを創造されました。 ここで「海」は単数形です。 では、なぜ「それらの中のすべて」と複数で言われているのでしょうか。

この代名詞接尾辞は、 海だけでなく、 天と地も含めて指していることは明らかです。

海には魚や海の生き物、 大いなる海獣が泳いでいました。 天には二つの大いなる光るものと星々があり、 空には空気と水分に満ちた中を鳥が飛んでいました。 地には足のある動物や這うもの、 そしてアダムとエバが住んでいました。 また、動物と二人の人間が楽しむために、 豊かな青草、植物、果樹が地に備えられていました。

実に、出エジプト記20章11節は、 創世記1章の卓越した要約です。 天と地そのもの、 そしてその中の被造物が六日間で造られたと明記されている以上、 創世記1章1–2節も第一日の一部であることは明白です。

以上の検討から、次のような教えは誤りであると結論できます。

これらの理論はいずれも、 出エジプト記20章11節における 神ご自身の創世記1章の「解釈」と矛盾しています。 神はご自身が六日間で 天と地とその中のすべてを造られたと語られました。

では、創造主なる神が出エジプト記において 六日で万物を創造したと語られたその御言葉が、 誤っていることがあり得るのでしょうか。

6 創世記2章3節b:なぜ神は第七日を祝福されたのか

כִּי בוֹ שָׁבַת מִכָּל־מְלַאכְתּוֹ אֲשֶׁר־בָּרָא אֱלֹהִים לַעֲשׂוֹת׃ פ
キー ヴォー シャーヴァト ミコル メラクトー アシェル・バーラー エロヒーム ラアソート。
創世記2章3節b: その日に神が、なさっていたすべての創造のわざをやめられたからである。

この小節は、なぜ神が安息日を特別なものとされたのか、その理由を示しています。 モーセは神のご意図を理解し、人々に、さらには家畜にさえも働きをやめて 安息日を守るよう命じました(出エジプト記23章12節、34章21節)。

出エジプト記は、六日間の労働と七日目の休みという原則を繰り返しています。 31章17節で神はこう言われました。

「これは永遠に、わたしとイスラエルの子らとの間のしるしである。それは主が六日間で天と地を造り、七日目にやめて(シャーヴァト)、休息した(イナーファシュ)からである。

ここで「息をつかれた」と訳されるイナーファシュ ( יִּנָּפַשׁ )は、語根ナーファシュ ( נָפַשׁ )のニファル態(受動形)です。 ナーファシュの基本的意味は「息をする」「呼吸する」です。 この語根から名詞ネフェシュ(נֶפֶשׁ)が派生し、 「いのち」「生きもの」「魂」「自己」「思い」「感情」などの意味を持ちます。

イナーファシュは直訳すれば「息を吹きかけられる」という受動的表現です。 暑い夏の夜に涼しい風を受けるような感覚を比喩的に表し、 「さわやかにされる」「元気を回復する」と訳されるのが適切です。

したがって、聖なる安息日の目的は「新たにされること」です。 人間的に言えば、バッテリーを再充電することです。 古代イスラエル人にとっては、 六日目にマナを集め終え、 七日目には天幕にとどまって食事を楽しむ日でした。

同様に、神は創造の業をやめ、 一歩退いて、ご自身の傑作を眺め、 満足されました。 もちろん、これは人間的表現です。

7 まとめ

この三節の出来事は、次のように要約できます。

「こうして天と地とそのすべての万象は完成した。 神は第七日に、ご自分がなさった御業を完成し、 第七日にそのすべての御業から休まれた。 そして神は第七日を祝福し、それを聖別された。 その日に、神が創造してなさったすべての御業から休まれたからである。

神が第七日を祝福し聖別されたことを思うとき、 クリスチャンたちも六日間の働きののち一日を休むことは有益です。 雇用者もまた、労働者に休みを与えることで祝福を受けるでしょう。 神は、堕落した世界に生きる私たちが休息を必要とすることを あらかじめご存じであり、 創造において週の「働きと休み」の型を示されました。

創世記を他の聖書箇所から切り離して読んではなりません。 聖書は誤りなき神の言葉であると告白しながら、 同時に大進化論を信じる人もいます。 しかし神ご自身が、創造に六日を要したと語られたことに 耳を傾けないのは誤りです。 無から万物を造られたのは六日間でした。 これは若い地球か古い地球かという問題以前に、 神が何と語られたかという問題です。

安息日の本質は、通常の働きを休んで新たにされることにあります。 「初め」が正確にいつであったかを確定できない以上、 現在の週のどの日が厳密に第七日かを断定することはできません。 第四戒は、単に律法の文字を守ることではなく、 労働者の福祉(シャローム)を重んじる精神にあります (申命記5章14節)。

イエスは言われました。 「安息日は人のために設けられたのであって、 人が安息日のためにあるのではない。」 また、 「人の子は安息日の主である。」

それゆえ、クリスチャンは安息日の主にあって休み、 新たにされることが勧められています。 それは、労苦による傷が癒やされるために時を聖別することです。 神の御霊の風が、いのちの水の流れのように 私たちの体・心・魂を吹き抜けるのを味わうひとときです。

神の民にはなお安息が残されています。 その安息に入るよう努めようではありませんか。 これはすべての人に対するキリストの招きです。


脚注

2 Cooper, K., “Ceres Dwarf Planet,” Space.com, 2024.
https://www.space.com/22891-ceres-dwarf-planet.html

3 Ronald Reagan’s Joke About Atheists. YouTube.

4 Lewis, C.S., Miracles: A Preliminary Study, Collins, London, 1947, p.110.